タレントトリビア名鑑総合案内所 |
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【タレントトリビア名鑑とは】 |
タレント(talent、Talent)は、テレビやラジオなどのマスメディアに職業として出演している芸能人などの総称を表す和製英語。アナウンサーなどの放送局関係者、文化人、現在または元スポーツ選手(プロ・アマを問わない)など他の分野での活躍がありながらもテレビ出演が目立つ人、芸能事務所に所属している人も概ね「タレント」と呼ばれます。このサイトは、タレントのトリビアを交えて、タレント名鑑を作ろう!という趣旨で作りました。
【タレントトリビア名鑑】 |
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清原の実家は電器店 (東芝ストアー) を経営。祖父をはじめ、家族が巨人ファンであり、その影響で巨人ファンとして育った。高校は30校近いスカウトの中からPL学園高校を選ぶ。天理高校かPL学園かどちらに行くかで悩んでいたが、両校の練習を見学した際に、天理高では3年生が練習をし、1年生が球拾いをしているのに対し、PL学園では学年に関係なく同じメニューの練習ができることが決め手となった。入学当初は投手を希望していたが、同期の桑田真澄の並外れた実力を知り、「 (桑田には) 絶対勝てない」と野手を選んだ (新入部員が最初に集まった際に、清原は名の通っていた桑田を探しその姿を発見すると「なんだ、こんな小さい奴か」と思ったが、実際の投球を見て度肝を抜かれ観念したと後にコメントしている) 。豪快な本塁打など、試合での活躍が多くの伝説を生んだが、練習に対する姿勢も真摯であった。そのエピソードとして、3年春のセンバツ準決勝で伊野商の渡辺智男に3三振と完璧に抑えられ、チームも3-1で敗れた際は試合後ベンチで涙を流したが (高校三年間で唯一甲子園大会の決勝に進むことができなかった) 、その日学校に戻ってからの夜、監督の中村順司が誰もいないはずの室内練習場に明かりがついているの見つけて中をのぞいてみると、上半身裸の清原が、湯気のような汗を流しながら一人で黙々とバッティング練習をしていたという。ドラフト会議直後の記者会見では、失意で涙を溜めた姿が放送された (後に関西の番組にて、記者会見を行った机は、巨人の桑田指名とほぼ同時に真っ二つに叩き割ったと語った。また清原を慕っていた後輩達が桑田の元へ報復に行こうとなったところ、清原が制したという) 。後に自宅で泣く清原を見て、母親が「あんたが勝手に惚れて、勝手に振られたんやないの。男らしく諦めなさい。男なら見返してやりなさい。泣いてる暇なんてないはずやで!」と言い聞かせ、プロに入り巨人を見返してやるとの思いを強くした。清原はそのまま西武に入団、背番号は3。ルーキーイヤーの1986年、開幕2戦目に守備固めで登場すると、第1打席では四球、第2打席にはプロ初安打となる初本塁打を打つ。その後も打ち続け、高卒新人では史上最多の31本の本塁打を放って新人本塁打記録の最多タイを記録。打率.304及び打点78も同じく高卒新人の歴代最高記録で、新人王に選出された。その年の日本シリーズには8試合全てに4番・一塁で先発出場し、日本一に貢献している。日本シリーズ第6戦9回ツーアウトになった時、ドラフト時に指名されず見返してやろうと思っていた巨人を破る事が現実味を帯びて来た瞬間、ファーストの守備についていた時に涙を流し、セカンドの辻になだめられた。桑田のワラ人形を今でも押し入れに入れてる。
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【豆知識】 |
- 「タレント」という言葉は、日本でいつどのように使われ始めたのか定かではありません。語源と思われる英語の「talent(タレント)」は「才能」という意味です。よって、日本で使われる「タレント」という言葉は、多くの場合英語本来の意味からは乖離してきています。英語では「TV personality(ティーヴィー・パーソナリティー)」あるいは、「TV star(ティーヴィー・スター)」などが似ています。
- タレントという言葉は、日本以外では韓国でも使用されます。
- アナウンサーのタレント化が激しいが少し下火になってきました。昔はグループでCDを出すなんて悍ましい状態がありました。
- 色んなジャンルのタレントがいますが、少しずつ進化しています。
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